1921年、明治時代から工業が盛んな神奈川県川崎市に菱沼廣は生まれました。
第二次大戦時、鉄道隊に所属しビルマ(現ミャンマー)の国境、インパールの戦いから船で帰国中、撃沈され泳いでいた所を助けられ奇跡的にフィリピンへ上陸。
1946年に日本へ帰国後、自動車製造会社に従事しました。
1956年に菱沼製作所を川崎市に創業し、自宅にて旋盤1台とボール盤1台で部品製造を始めます。
5年後川崎に工場を建設、部品加工業の傍ら樹脂中空成形機の試作に成功。その後、プラスチック射出成形機を製造し、ホットチャンバーダイカストマシンのOEM製造に繋がります。
1969年、後現在の本社がある埼玉県嵐山町に移転。"菱沼ブランド"を立ち上げ、自社ブランドのホットチャンバーダイカストマシンの販売を開始しました。
1982年に革新的なパーティング射出ダイカストマシンを開発し、第一線で技術開発を行っていましたがわずか 一年後の1983年に62才という若さで急逝しました。
部品加工業から機械製造への転身、独自ブランドの確立、革新的製品への挑戦の信念は今もなおヒシヌママシナリーに受け継がれています。
経緯
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1921年
8月30日 神奈川県川崎市に生まれる -
1945年
第二次大戦時、鉄道第七連隊に所属
インパールの戦い ビルマ(現ミャンマー)派遣後フィリピン上陸 -
1946年
終戦後、鹿児島に上陸し、栃木県鹿沼市に居住 -
1947年
神奈川県川崎市に戻り池貝自動車製造(株)に勤め
労働組合執行委員・書記長となる -
1950年
長男 研一誕生 第2代社長 -
1954年
次男 有二誕生 第3代社長 -
1956年
川崎の自宅にて"菱沼製作所"創業
旋盤1台 ボール盤1台で部品加工業を始める -
1959年
三男 省三誕生 第4代社長 -
1961年
(株)菱沼製作所登記 神奈川県川崎市小倉に工場建設 -
1962年
第2工場増築 合成樹脂中空成形機試作 -
1963年
射出成形機 製造 -
1964年
ホットチャンバーダイカストマシン OEM製造開始 -
1969年
現本社所在地 埼玉県嵐山町 工場移転 -
1972年
自社ブランド ホットチャンバーダイカストマシン販売開始 -
1975年
コールドチャンバー販売開始 -
1982年
パーティングホットチャンバーマシン開発 販売開始 -
1983年
6月 62歳で逝去。パーティングマシンの特許が公知される -
2021年
生誕100周年 会社創業65年